YouTubeで躍進を続ける中田敦彦さん。吉本を退所後は家族でシンガポールに移住しながらも、日本での活動も続けられています。中田さんは心の師と煽り、中田さんがリスペクトする著名人とのコラボ動画が度々注目を集めていました。
今回コラボされたのは、元テレビ東京のプロデューサー佐久間宣行さん。意外にも2人の接点は少ないとのことですが、お互いの存在を知っていてリスペクトもされている中での対談は驚きの連続!佐久間さんのチャンネルでは中田さんのテレビ時代に起きたエピソードは必見です!
この記事では中田さんがテレビ時代の苦悩を明かした対談模様やSNSの反応をご紹介します!ぜひ最後まで読んでください!
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Contents
芸人デビュー19年目の中田敦彦
佐久間さんと中田さん。今や2人の名前は日本中に知れ渡っていますが、意外にも2人の共演は少ないとのこと。2003年に藤森さんとオリエンタルラジオを結成して19年になるそうです。いろんな場所で自己分析能力で芸能界を切り開いて来た中田さん。
そんな中田さんでもご自身が想定していた何倍もの速度でテレビに出始めたといいます。オリラジの凄いところはまずデビュー1年目にして、持ちネタの「武勇伝」で大ブレイクを果たしたところ。あまりの反響に予定が狂ったそうです。
歴代のとてつもない勢いで売れていった先輩の傾向から、自分らも同じ系譜を辿るかと思いきやそこでも予定にないところで失速していったといいます。
テレビ時代を振り返るのは最初で最後?
芸人界隈でもこれだけの瞬間風速を味わった人は珍しいようで、「オリラジ中田とテレビ」と題して対談されていきます。改めて中田さんのテレビ時代を振り返ることは後にも先にも珍しいのではないでしょうか。
今では中田さんが関係するYouTubeチャンネルは、500万人を超える凄まじい数字を持っています。これだけの数字を持っているので活動拠点はテレビからYouTubeに移り変わり、テレビ時代のことを取り上げられることも少ないようです。
さらに中田さん自身が過去を振り返ってエピソードを話す性格ではないとのことで、佐久間さんはせっかくだからと中田さんの過去を記録に残したい思いで臨まれている様子でした。中田さんも今やテレビのことを聞かれることはないと、本人でさえ珍しく感じているようです。
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中田敦彦を変えた仕事
2010年から3年間フジテレビで放送されていたピカルの定理。ピースやハライチや平成ノブシコブシといった勢いある若手芸人が出演していたコント番組。この番組にゲスト出演されたときのこと。当時、中田さんは燻っていた時代なんだとか。
相方の藤森さんはチャラ男としてブレイク。横にいた中田さんは武器がなくキツかった時でも、手応えを感じた仕事だといいます。中田さんが出たコントにはピースの綾部さんも出演されていたそうで、楽屋で「やりすぎんなよ」と綾部さんが先輩にもかかわらず制されていたとのこと。
それでもなんとか結果を出したい中田さんは、なりふり構わず仕事をされた上に好評だったそうです! 楽屋に戻ると普段は褒めてくれない綾部さんでさえ褒めてくれるほどに中田さんは感激されたんだとか。
さらにチャラ男でブレイクしている相方の横で燻っていた中田さんをピカルの定理に推薦したのが綾部さんだったようです! この一件で綾部さんが心配してくれていることを知った嬉しさと同時に、普段は評価を一切しないツンデレっぷりに少し怖くなったといいます。
しくじり先生で勝利を確信
佐久間さんが中田さんを活かしきれずに悩んでいた時のこと。中田さんが出演するしくじり先生を見て120点を叩き出した! と感激されたんだとか。中田さんは当初しくじり先生に出演するのは嫌だったといいます。
長年対抗意識を持つオードリー若林さん。武勇伝で活躍される中で活躍し始めたハライチ澤部さんや吉村さんのいる番組に、失敗した側として参加するのに抵抗があったとのこと。ですが、出るなら成功するしかないと覚悟を決めた中田さん。
初めての打ち合わせに、事前に自ら台本を用意してこの通りに進行しないなら出演しないとまで言っていたんだとか!テレビプロデューサーとして多くの方と共演されたであろう佐久間さんでさえ、そんな人見たことないと言われるほどの覚悟ある行動だったようです。
テレビを諦めるきっかけ
そうして中田さんの思い描いた収録は見事に成功! その後も中田さん出演回は全て自身が考えていたとのこと。一方で熱のある企画と付いてくれるスタッフさんがいながら、レギュラーにならなかったことに中田さんは限界を感じたそうです。
全力を出し切れたし、最高のチームに恵まれたとのこと。不満はなかったといいます。これをきっかけに中田さんはこの事がテレビを諦めるきっかけにもなったんだとか。
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SNSの反応は?
動画のコメントでは「中田さんが出るしくじり先生は神回しかなかった!その理由が想像を超える努力があってこそだった!」「こんな時間じゃ全然足りない。もっと詳しく知りたいって思わせる稀有なYouTuber」といったコメントが寄せられました。
相手がテレビプロデューサーなこともあってか、意外にも語られてこなかった中田さんのテレビ活躍時代の苦労話は新鮮で驚きの声が多くありました。
並々ならない努力をしている中田さんへのリスペクトが多くありました。
中田さんの裏の努力に驚かれる声が多くあります。
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テレビ時代の天国のような話
最後まで読んでいただきありがとうございます。中田さんの分析力と企画を実行していく推進力の根幹を垣間見ることができましたね。当時の活躍は目覚ましいもので、唯一無二と言っていいほどのキャラクターを確立していっていましたが、ご自身が納得できない部分とYouTubeの器量の大きさが功を奏したのかもしれません。
次回は中田さんのテレビ時代の苦労話が飛び出すようですが、どんな裏側が見られるのか楽しみですね!
サムネイルは以下より:
Source: appbank